死の先に待っていた新たな世界
第6話


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 暗い闇の中、誰かが泣いている声が聞こえる。
 その声がルイズだと分かったが、俺は目を開けることが出来なかった。
「なんで! アレス、アレス! どうして、なんで! 目を覚ましてよぉ!」
 体が揺らされているのも分かる。
 しかし、駄目だ。
 意識はあるのに、体が一切いうことをきかない。
「ルイズ、止めなさい。アレスはもう……目を覚まさないかも知れないわ」
 この声はエレオノールだ。
 とても悲しそうに聞こえる。
「嘘よ! アレスは絶対に目を覚ましてくれるわ!」
「もう、一週間よ? 発見されてからならもう二週間。傷は、左手以外は治ったのに、彼は一向に目を覚まさないわ」
 二週間?
 俺はそんなに気を失っていたのか。
 よく、発見されたものだな。
 俺は冷静に今の状況を考えていた。
 左手以外は治った。これは恐らく、左手はもう使い物にならないのだろうと。
「でも!」
 ルイズの叫びが悲痛だ。
 本当ならすぐにでも手を伸ばしてやりたい。
 それなのに俺は体を動かすことが出来ないのだ。
 悔しいが叫ぶことすら今の俺には出来なかった。
「ルイズ。冷静になりなさい!」
 冷静なエレオノールが、毅然とルイズに言った。
 ルイズの息を呑むのが聞こえると思ったら、ドアを思い切り開け放つ音が聞こえる。
 どうやら、ここから去って行ったらしい。
「アレス。早く目を覚まして……。あれじゃルイズが壊れちゃうわよ」
 顔に温かい感触を覚えた。
 エレオノールが俺の頬を撫でたようだ。
「また、来るわ。次、来たときには目を覚ましてなさいよ」
 それが出来たらいいだろうな。
 闇の中でそう思った。
 時間が過ぎていく。
 父さんが来て、母さんが優しく俺に声をかけてくれる。
 父さんは、馬鹿だと、罵りながら早く目を覚ませと言ってくる。
 ラウードが来て、馬鹿やろうと言いながら。
 シルファが、俺を労い、そして母さんと同じく優しく。
 みんなが俺に目を覚ませと言っていた。
 俺はみんなの声に応えたかった。
 しかし、指一本動かすどころか、瞼さえ動かなかった。
 俺の体は母さん達が毎日、水の魔法をかけて衰弱するのを防いでくれていた。
 使用人も俺が寝ている部屋に来ては声をかけながら掃除をして、俺の体を拭いてくれている。
 それなのに、俺は感謝の言葉さえ発することが出来なかった。
 感謝さえ出来ないのが悔しくて堪らなかった。
 
 時は止まることなく過ぎ去っていく。
 俺は時折、意識が戻るがいつも闇の中だ。
 だから、どのくらい時間が経ったのか分からない。
 今日はエレオノールが来ている。
「ルイズがね。あの子、系統魔法が使えなくても秘薬の勉強は出来るって、秘薬の勉強を始めたのよ」
 ルイズが秘薬の勉強か。
 あの子は頭がいい。きっと秘薬の知識も、ものにするだろう。
「あなたのためにってね。わたしはアカデミー出身だから知ってるわ。あなたを目覚めさせる秘薬は今のところないのよ」
 そうか。
 俺を目覚めさせる薬はないのか。
 だが、俺は何も感じなかった。もともと一人だったからだろうか?
 アレスとしてはとても幸せだった。
 これだけの人に愛されている事実だけでも十分すぎるくらいだ。
 ルイズを悲しませるのが悔いがあるが、もう俺自身が諦めかけていた。
「今、あの子には集中出来るものが必要だから、何も言わないわ。アレスならどうやってルイズを元気付けさせられてたかしらね」
「わたしも、アレス。あなたがいないと張り合いがないわ。唯一、わたしと対等に話せる相手があなたなのよ」
 エレオノールと対等に話せる人物が他にいないのか?
 まあ、それは何となく分かるような気がする。
 トリスティンに限らず、ハルケギニアにおいて女性の価値を押し付けていたから。
 現代日本に居れば、エレオノールの性格は気が強い女性程度で十分に貰い手がいるといっていい。
「それに」
 空気が止まる。
 何だろうか? この空気は。
「わたし、どうやらあなたが好きみたいね」
 俺が好きだって?
 ルイズだけじゃなくて、エレオノールも俺が好きだと言うか。
「ふふふ。寝ているからってわたしも何を言っているのかしら。それじゃ、また来るわ」
 そう言って、エレオノールは俺の部屋から出て行く。
 再び時間が流れた。
 空気が最近冷えているところを感じる。冬になったのか?
 この日は、ルイズが久しぶりに来ていた。
「アレス。こんにちは」
 こんにちは、ルイズ。全く、あいさつすら返せないとはな。
「もう、そろそろ今年も終わるわ。ねえ、覚えてる? 去年の冬は年の終わりに北へ旅行に行こうかって言っていたの」
 そう言えば、そんなことを言っていたな。
 北の地は、ここより早く雪が降ると聞いている。
 それで、俺が来年は一緒に北へ旅行しに行こうと言ったんだ。
「約束とまでは言わなかったけど、わたし楽しみにしてたの。アレスと一緒に旅行するの」
 それは申し訳ないことをしたなと思う。
 何も出来ない今は、ただルイズの言葉に耳を傾けるしかない。
「それと、ね……」
 言葉が続かない。
 どうしたのだろうか?
 しばらくして、ルイズのすすり泣く声が聞こえてくる。
「もし、年内中に、あなたが目を、覚まさないなら……」
 辛そうな声だ。
 何があると言うのだろう?
「お父様が、ワルド様と……婚約させると言ったわ」
 な、に?
 つまり、婚約破棄ってことか。
 ヴァリエール公爵も、たぶん苦渋の決断だったんだろう。
 目覚めぬかも知れない俺より、ワルド子爵の方がいいとは思う。
 娘の幸せを考えるなら、それがいいだろう。
「アレス……。わたしは、嫌よ。あなたじゃないと……あなたじゃないとわたしは嫌!」
「ねえ、アレス、目を覚まして! お願い! わたし、あなた以外の人と結婚なんてしたくない!」
「わたしが嫌いなの? わたし、何か悪いことしたの? どうして、わたし……こんなに辛い思いしないとならないのよぉ!」
 俺にルイズが覆いかぶさるのを感じた。
 ルイズの声が、心が、痛い。
 彼女の思いが、俺の胸に響く。
「アレスぅぅ……」
 ルイズは俺の胸に顔を埋めている。
 ルイズの頭を何とか撫でてやりたい。
 俺はどうなってもいい。今だけでいい。
 だから、体よ動け!
 今まで何度と試しても体は動かなかった。
 だが、今はそうも言っていられない。
 これで死んでもいい。
 せめて、最後にルイズの頭を!
 
「ア……レス?」
 その願いが通じたからだろうか?
 俺の右腕が奇跡的に動いたのだ。
 ぎこちない、動かすだけで激痛が走る。
 それを全て耐えて、右腕をルイズの頭に置いたのだ。
 しかし、撫でるまでには至らないらしい。
 それだけじゃない。
「ル、イズ」
 かなり掠れた声だが、俺の口から声が出る。
 目も開いた。
「アレス? アレス?」
 そこに移っていたのは、ルイズの驚きとも喜びとも付かない表情だった。
「心配……掛けて、すまない」
 聞き取れるかどうか、ギリギリの声だ。
 それでも、俺は、俺の意思で言葉を発することが出来た。
「アレス、目を覚ましたのね! 今、おば様を連れてくるわ!」
 そういうと、ルイズは大慌てで部屋から出て行った。
 俺は、そこで再び瞼を閉じる。
 とても、疲れた。
 今ので全体力を使い切ったらしい。
 再び、俺の意識は闇へと落ちる。
 それから、どのくらい時間が経ったかは分からないある日。
 俺は今度こそ、目を覚ました。
 目を覚ましたのは一年が終わる日だった。
 ルイズとワルド子爵との婚約という話は再度消えた。
 これに関しては……少しだけ悪い気がしたが、仕方ない。
 俺が完全に目を覚ましたということにルイズはこれまでにない喜びを表していた。
 この時の笑顔が俺には忘れらない。
 一度目を覚ました、と思って戻って来たルイズが、再び俺が寝ているのをみた時、とても落胆したらしいが。
 そういう話を聞いて、また今回のことで俺は思った。
 俺はこの子の笑顔を守りたい、と。
 命がある限り、この子の笑顔を守りたいと思った。
 年が明けた。
 俺は自室のベッドに寝ている。
 何とか上半身を起こせるまでに体は回復した。
 まだ下半身には力が入らない。ただ、抓れば痛みを感じるので、神経がやられたわけではなかった。
 目を覚ましてから把握したが、左手は手首から先は切断されてない。
 話に聞くと、傷口が化膿して水の魔法で治療しても使い物にならなかったらしい。
 最初、その事実を知ったルイズが泣き叫んで大変だったと聞いた。
 俺はベッドの上から外を見る。
 近くの森の木々は、半分くらい葉を落としていた。
 葉の落ちていない木も、茶色の葉がいつ落ちるか分からない感じである。
「結局、十ヵ月もの間寝ていたとはな」
 誰もいない部屋で自虐的に言った。
 詳しく話を聞いたが、ラウードとシルファが逃げ切った後、俺を捜索してくれたらしい。
 一日探して、俺を街道付近の森の中で見つけたらしいが、その時点でほとんど虫の息だったと聞いた。
「よく、生きていたものだ。あの時のように死ぬと思っていたからな」
 本当に奇跡と言っても良いだろう。
 前世では飛行機事故で死んでいる。
 今回もこういう最後なのだろうな、とそう漠然と思っていたが、まだ俺にはやることがあるらしい。
「アレス、入ってもいい?」
 部屋の外から声が聞こえる。
 ルイズだ。
 このところ、ヴァルガード家に泊まる事が多くなったルイズ。
 昨日からルイズは泊まっていた。
「どうぞ」
 俺がそういうと、はにかんだ笑顔で入ってくる。
 静かに扉を閉めて、俺のベッドの前に来ると備え付けの椅子に座った。
「こんにちは。アレス」
「こんにちは」
 会話らしい会話はない。
 ルイズは俺が目を覚ましてからというものの、とにかく俺の傍にいたがることが多くなった。
「足はまだ動かないの?」
「そうだね。抓れば痛いから、単に筋力が落ちてるだけだと思うよ」
「そう。ねえ、ベッドの中に入ってもいい?」
 恥ずかしそうに尋ねてくる。
 最近のルイズは、どうも俺とのスキンシップを求める事が多い。
 まるで俺がどこにも行かないようにと言うように。
「いいよ」
 俺がそういうと恥ずかしそうにしながらも、俺のベッドの中に入ってくる。
 実は、最近俺のベッドの中に入ってくることが多い事から俺は少しスペースを空けておくことにしていた。
 ルイズは俺の隣に座るとそのまま、俺にもたれ掛かる。
「アレス。温かい」
「ルイズも温かいよ」
 そういいながら、俺は頭を撫でてあげる。
 そうすると、気持ち良さそうに目を閉じるのだ。
 とても可愛らしい。まるで、子猫のようだ。
「甘えん坊だね」
「だって……。アレスがいなくなったら嫌だから」
 そう言って、俺の服をぎゅっと握ってきた。
 俺を失いかけたのが、怖いのだろう。
 だが、これでは単なる依存だった。
 ルイズはとてもいい子である。
 それは俺が良く知っていた。
 たぶん、誰よりも一緒にいることが多かったから。
 傷つけたくはない。
 ルイズを泣かしたくない。
 この子を守りたい。
 しかし、俺が死んだらそれは出来ないのだ。
 それで、もし彼女が生きる希望を失ったらと思うと俺は、怖かった。
「僕も、ルイズがいなくなったりしたら嫌だよ」
「アレス、もうどこにも行かないで……。ずっとわたしの傍に居てほしいの」
 俺は、ルイズの支えになっていたつもりでいた。
 魔法が使えないと、悲しんでいたルイズ。
 それを何とかしたいと思っていた。
 それが自然と俺へ依存するようにしてしまっていた。
 また俺が死にそうになったら、いや今度は死んでしまうかも知れない。
 ルイズを俺に依存させたままでは駄目だ。
 だから俺はルイズが苦しむのを分かっていて死について説くことにする。
「ルイズ、僕はいつ死ぬかわからない」
 はっとしてルイズは俺の顔を見る。
 悲しそうな顔だ。
「それに、僕はヴァルガードの男だ。この家を継ぐことになるし、戦争が起これば戦争に出なければならないんだよ」
 言わなければならないのだ。
 ルイズに俺を、頼っても依存しては駄目だと、伝えなければならない。
 それがどんなに残酷なことであっても。
 それがどんなにルイズを傷つけることになっても。
「だから、ルイズ。君は強くなって」
「強くって……何?」
「負けないことだよ。どんなことにも。僕が死んでも、悲しみに負けてはいけない。一時的に負けても、最後は乗り越えて」
「アレス、何でそんなこと言うの? せっかく助かったのに……そんな悲しいこと言わないで」
 ルイズが、俺に抱きついた。
 彼女にしては強く、絶対に離さないと言う様に。
「アレスにいてくれないと、駄目なの。アレスがいないと寂しくて堪らないの」
「ルイズ」
 自由が利く右手で、ルイズの頭を撫でながら優しく言う。
「それでも、いつかは死んでしまうんだよ。僕に頼ってもいい。
 でも、依存はしないで。
 僕がいなくなっても強く生きるって決めてほしいんだ。
 そうじゃないと、僕は君が、ルイズが、心配で堪らないんだ」
 胸に何か熱いものが広がる。
 ルイズの涙だ。
 彼女は声を殺して泣いている。
「僕は生きている限り、ルイズを守るよ。
 寂しいというなら傍にいてあげる。
 抱きしめてあげる。
 キスだってしてあげるよ。
 でもね、僕がいなくなったらそれは全部出来ないんだ。
 どんなに求めても僕が死ねばその全てが出来なくなるんだよ」
 ルイズは嫌々と首を振る。
 辛いだろう。
 十一歳の女の子だ。
 こんなこと理解しろと言う方が酷なんだ。
 俺は、ルイズを傷つけた。
 だけど、その傷がルイズを強くしてくれるなら、俺に依存しないなら、通らなければいけない道。
 ルイズが強い女性になる事を願うしかなかった。
「ルイズ、僕は君を愛してる」
「え?」
 涙に濡れた顔が、俺に向けられた。
 俺のせいで、辛い思いをさせている。
「僕はね、ルイズ。君を愛しているんだ。だから、辛いけど言うんだよ。愛しているからこそ、愛している人が悲しみで不幸になってほしくないから、言っているんだ」
「アレス……。でも、わたし、怖いよ。怖くて怖くて堪らないよぉ」
「今すぐ理解しなくいい。でも、いつかは理解してほしいんだ。それまでは僕は絶対にルイズをどんなものからも守ってあげる」
 ルイズは俺の言葉にしっかりと頷いた。
 理解は出来てはいないだろう。
 でも、彼女なりに、俺の思いに応えたいと思ってくれたのだと思う。
 小さい、小さい決意を俺は彼女の中に、見出していた。
 彼女を、俺は片手で強く抱きしめる。
 せめて今だけはルイズが安心出来るように、強く、強く抱きしめるのだった。